コラム

第10回 「心の旅を終わらせない」

撮影:渡辺 悟

執筆/一般社団法人heARTfulness for living協会 
   代表理事  戸塚真理奈

増幅・調音しながら生命をつなげる

 コラム前号にて鈴木秀弘先生は可愛い梅ジュース屋さんにまつわる楽しいお話と、最終回講座での「愛を届けるワーク」のご感想をシェアされ(具体的な表現で、内側でどう受け取ったのか聞かせてくださりありがとうございます)、そこから「加持」のお話まで展開されました。僧侶でもいらっしゃる秀弘先生ならではのご見解であると、心からの微笑みとともに拝読しました。

 「愛を届けるワーク」では先生方の計らいで、私と「保育ナビ」誌の編集担当Nさんもワークの最後に愛のエネルギーを受け取りましたが、先生方と同様に、体が火照る感覚、心臓が膨らむような、感極まって涙が出るような、言葉では表しきれない想いが溢れました。本当に、あの日のあの場には、感応により互いの間で増幅していった大きなエネルギーの玉が生まれていたのだと確信します。

 日本全体を見た時に、周囲との調和を乱さない・無礼となるリスクは負わない(=自分を小さく引き締める感覚)、反省・改善をする(=厳しくて堅い感覚)、自分の意見は言わないのがよい・正すことのためであっても口ごたえは無用である(=出ようとするエネルギーを閉じ込める感覚)を実践して生きることが高い傾向にあるように個人的に感じています。本当は、自分が生命体として呼吸するのと同じく熱量を発したり受け取ったりしているのに(前号のコラムで登場したKくんは意識せずに全身でこれをやっていたと思います)、多くの大人たちがいつの間にかそれを忘れてしまうのではないでしょうか。

 私があのワークを最終ワークとしてご紹介しようと思ったのは、自身が愛を発する存在であること、そして愛を受け取る存在であることを体感していただきたいとの願いからでした。一度体感できればそれを自覚して、自分はまさにそういう存在なのだと、別にだれかに言ってもらわなくとも今後も信じることが可能になるからです。

 今回、詳しい事前説明が無くても、ご参加の皆さんが内側でご自身の存在の大きさを受け取ってくださった様子ですね。好奇心や初心の気持ち、純粋性と集中力を持ち寄っていただいて、秀弘先生をはじめとする皆さんに感謝するばかりです。

 ここで言う愛とは恋愛のことではなく、家族としての愛、友人としての愛、同僚としての愛、町内会での愛、社会全体での愛、地球人同士としての愛など、様々なものを含みます。これは情を加えたものではなく、相互につながりながら、高めていく熱量そのものをイメージしていただくといいと思います。人々だけではなく、動物・植物とも実はこれらを相互に重ね合わせ、もみ合わせ、馴染ませ、そんなふうにしながら互いに増幅・調音しながら一緒に生き合っているのだと思っています。

 マインドフルネスは、「今この場でこの瞬間に起こっていることに好奇心と優しさをもって気付いている」というあり方を意味しますが、これはスタート地点に過ぎず、全4回の講座の中で学ぶ最も大切なことは、上に挙げた「生きる世界」について感じ取ることでした。

 それは脳では理解しきれないことであり、体を使って、細胞から感じることです。秀弘先生の前回のコラムではその後の皆さんの様子について大きな見える変化は少ないけれど、各自が自分の気持ちと心の集合体の双方を大切にしてきていることが書かれていました。頭で考えるのではなく心で感じることが増えているという小さな兆しは、それがいいと意図するかぎり、これからも育っていくと思います。

<ご質問への答え>
伝える側は完全無欠ではない、でも楽しんでいる

 さて、お預かりしたご質問、私自身が日々の感情とどう付き合っているのかについてお答えします。私も秀弘先生や和光保育園の職員皆さんと同様に、日々、怒りや不安、悲しみや苦しみと、喜び、楽しさ、うれしさ、朗らかさなど、数えきれない種類の感情の渦の中で生きています。マインドフルネスを実践すればそれらのうち、いわゆるネガティブ感情については少なくとも封じ込めるのだろう、うまくコントロールして、キレる場面でも柔らかく微笑んでいるのではないか、そんなふうに思われているとしたら、現実は全く違います。ですので、そもそも、「真理奈先生はすごいなぁ、あんなふうにはなれない」と思われるような、完全無欠な姿ではいない、という点は改めて強調します。

 でも、感情が起きた時にそれに気付いて、自分は今、○○な気持ちを味わっているのだ、そういうことを経験できているんだな、ライフステージとして○○が起こっているんだな、などと捉えることが、マインドフルネスを5年ほど前に知ってから断然増えました。「少し離れた立ち位置から物事を眺めること」が無意識に癖になっているのかと思いますし、その目線で自身の気持ちや起きていることを見つめることができるようになり、人生がより味わい深く、楽しく、豊かなものとなっていったように思っています。

旅の醍醐味は道中にこそ

「少し離れる」という話題のつながりでもう1つお伝えすると、瞑想を続けてきていることの恩恵を、実は今年、瞑想から少し離れたことで感じました。ある事情で私生活に変化があり、一時期、毎日は瞑想ができない状況だったのですが、瞑想がいいものだと思いながら日々実践している時だけではなく、ストップしたことでの心のぐらつきが起こるのを明確に感じたことも、瞑想の恩恵だと感じたのでした。これはとても興味深い発見でした。何かを得ている時も、失う時も、いつでも、気付いて得ていく旅が心の旅であり、焦って目的地に到達しないでいい、ということなのでしょうね。

 このように、私自身、普通のひとりの人間として、実験をしながら(笑)体感を得る日々です。そのこと自体が楽しく、生きることのおもしろさであると感じます。講座にて皆さんに「マインドフルネスは旅路です」とお伝えした背景はこういうところです。私が講座をお届けする理由は、その旅路において皆さんと一緒に呼吸しながら、互いに発し受け取るものを増幅・調音させ、共に生きていると実感する時に幸せを感じるからです。場を共にしながら一緒に練っていく、このフラットな関係性は大いなる喜びを授けてくれるものだといつも感じています。

※次回は、戸塚先生のコラムを受けて、鈴木先生が執筆します。どうぞお楽しみに!

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