コラム

第2回「子どもと大人が育ち合うために、今を生きる」

撮影:渡辺 悟

執筆/一般社団法人heARTfulness for living協会 
   代表理事  戸塚真理奈

前回の鈴木秀弘先生のコラムでは、全体性の中で個人が存分に生きることにふれられていました。「存分」とは、つくられた自分ではなく、ありのままの姿に心が満たされるさまを言いますが、ことに子どもの教育の世界において、教育を届けている側の大人自身が存分に生きることは、そう簡単ではない場面も多いのではないでしょうか。

子どもたちには自主性を大切に、そして伸び伸びと育ってほしい、とは大人みんなの願いです。その大人たちが子どもを預かって教育する時に、本当は、楽しさや神秘性が感じられ、目の前のことだけに全力投球でありたいと思うことでしょう。しかし、実際の保育の現場は戦場のように忙しく、また、保護者との関係や同僚との連携など、ストレス指数の高い職場環境であることはどこの園でもきっと共通することではないでしょうか。

多くの「優しくて、子どもをよく見てくれ、よく遊んでくれる、すてきな職員の方々」の心は、もしかしたら、苦しみや心身の疲れ、もどかしさ、悲しみ、緊張に溢れているのかもしれません。そして、ときにはそういった感情に「よくないもの」「煩わしいもの」「プロ意識が欠けた姿」というラベルを貼り、今の心から目を背けたくなってしまうこともままあるのではないかと思います。

でも、保育現場の外からマクロで観察する私の目には、地域全体を見た時に、子どもを預かって育ててくれるだれかの尊さやありがたさが光り輝いて映ります。また、子どもの目線で見てみれば、家族ではない存在の大人と一緒に過ごす時間からどれほどの刺激や楽しさが生まれ、情緒面での成長が促されるのかに目が行きます。

小さな一人の人を育てるという保育の根本に目を向けるなら、それはそれはとても優しくて柔らかく、繊細な世界観なのだと感じますね。その優しさや繊細さのある世界は「自然」ゆえに、弱い部分(例えば、自分の手の及ばないことや、できないと感じて傷つくこと、許せない自分の至らなさなど)を含むのは当たり前のことです。教育論だけでは解決できない部分が、そういった「自然」の世界なのではないでしょうか。だからこそ保育者の方々には、生きているがゆえの多くの感情にふれ、自分たちの気持ちを大切にし、そのような豊かな人生経験をしていることそのものに、深い感動や喜びを感じながら過ごしてもらい、人生をデザインしていただきたいと願ってきました。

そのような想いから昨年より、子どもの教育に携わっている大人の方々に向けて、「今、ここに生きる自分」を感じる時間をお届けすること、何かがうまくいっていても、そうでなくても、一人ひとりがすでに十二分に素晴らしいことに自身で目を向けられるようよう応援すること、そして外野の立場から、彼らに熱いエールとフレッシュな空気感のある学びをお届けすることができるなら幸せと感じてきました。

ですから、今回の『保育ナビ』の連載企画は、まさに天からの恵みでした。

子どもと接する時、口で伝える以上に、体から滲み出るエネルギーや空気感のようなものが大きく影響します。子どもと接している大人たちが存分に生きているならば、そののびやかさはダイレクトに感受性の強い子どもたちに伝えられるものとなります。 つまり、大人も、子どもも、どちらもが存分に生きているならば、その集まりは生命のエネルギーに満ち、互いに補い合える「全体でひとつ」となり、居心地よく、「育ち合い」や「生き合い」が醸成されていく場となっていくことでしょう。

街に花が咲くのは、だれかが植えてくれたから

自分の命に目を向け、
わたしらしさ」を受容し、愛でよう

今回、私のようないわゆる外部の者を仲間として迎えていただけたことは、それなりの意味があったと感じています。前回のコラムで鈴木先生も仰っていましたが、(鈴木先生ご自身が意識されたように)職場内でだれかが伝える側の立場を取ると、必然的にほかのメンバーが教わる側の立場となり、集団が分断されてしまいます。私が入り、職員皆さんが全員フラットな関係性で学んでいただいたことで、同じ立場、同じ方向、同じテーマを見つめる時間が届けられ、内側からのエネルギーが発せられる準備ができました。

1月の1回目講座当日では、総勢20名あまりの皆さんに、好奇心やいわゆる「初心」をお持ち寄りいただき、自分たちの人生の「今」の時間の質を上げていくことをテーマにワークに取り組んでいただきました。

時間は不思議なもので、同じ長さであっても、そこに奇跡や神秘性を見いだせるのなら、喜びや感動が生まれます。そして、その時間には深さや太さが加わり、その時間を生きること自体の尊さに目が向けられます。そのためには、視座を上げることが大切となります。それは、普段と同じ場にいて、同じことをしていても、無意識を意識化し、目線を上げていくということです。

そこで、まず、まるで虫眼鏡を手に持ったような感覚で何気なく行っている普段の動作を見直し、自分自身の内側の気づきに心の目を向けるワークをお届けし、そこから自分自身に愛や思いやりを届けるワークに移っていきました。つい「どうでもいい存在」として無意識に扱ってしまったり、期待との乖離から生まれる罪悪感やがっかり感を塗りつけがちだったりする自分自身と、まずは真のつながりを取り戻していくことを意図しました。

特に、身体は人生でずっと共にいてくれている相棒ですが、その存在に意識を向けられなくなってしまいがちですので、身体を動かして心の動きに意識を向けるボディワークもお届けし、全編のうち半分以上をこれらのボディワーク、メディテーション(瞑想)、会話のワークなどの実践に費やしました。そして、参加者一人ひとりの内側から起きてくる気づきを全員にシェアしてもらうことにも多くのエネルギーを注ぎました。

マインドフルネスを講座でお届けしながら私が意図していたのは、いわゆる職員研修のように頭をつかって何かを習ったり覚えたりトレーニングしたりすることではなく、呼吸と共にある自分自身の命に目を向け、「わたしらしさ」を受容し、愛でる、そんな場づくりでした。

今日のこの瞬間にも静かに呼吸を続けている「一人の人」である自身の存在に気付くことは、柔らかいけれど非常に強力な教えをもたらしてくれます。それは、頭脳をつかって理論的に理解するよりも、ダイレクトにハートに届くものです。

好奇心でキラキラとした眼差しで、ときには大笑いし、ときには涙を見せながらご参加くださる職員の皆さんの生き生きとした様子から、彼らの純粋性がほとばしるのを感じ、その真摯なあり方の美しさには身震いするほどでした。『保育ナビ』が結んでくださった和光保育園の鈴木眞廣園長先生・鈴木秀弘副園長先生と職員の皆さまとのご縁のありがたさに、マインドフルネスの恵みを一番いただいたのは、もしかしたら私自身なのかもしれないと感じています。

2時間の講座はあっという間のことでしたが、その場だけで終わることはなく、4月の第2回(8月号掲載)、6月の第3回(11月号掲載)、そして9月の最終回(2月号掲載予定)までの8か月間の旅路において、「芽吹き」が少しずつの歩みで起こりました。以降のコラムで少しずつご紹介するのを楽しみにしています。

早朝の道を掃き清める人の存在で、その場の清々しさが生まれる

※次回は、戸塚先生のコラムを受けて、鈴木先生が執筆します。どうぞお楽しみに!

このコラムでご紹介した画像のほかにもご紹介しているインスタグラムです。ご関心がある方はこちらもどうぞ。 :https://www.instagram.com/joyfromsomeone/

第3回コラムはこちら↓
第3回「溢れ出た真実性」

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