コラム

第3回「溢れ出た真実性」

撮影:渡辺 悟

執筆/社会福祉法人わこう村 
和光保育園 副園長 鈴木秀弘

自分自身と真のつながりを取り戻すために

 「子どもと接する時、口で伝える以上に、体から滲み出るエネルギーや空気感のようなものが大きく影響します。子どもと接している大人たちが存分に生きているならば、そののびやかさはダイレクトに感受性の強い子どもたちに伝えられるものとなります。」

 戸塚真理奈先生が前回コラムの中で仰ってくださったことに、心から共感するとともに、即座に、倉橋惣三が著書『育ての心(上)』の中で、「にじみ出る真実性」という詩に言い表そうとしていることに重なるのではないかと、私は感じました。

にじみ出る真実性

 あなたのもっていられる貴いもの、美しいもの、賢いものを、みんなそのまま受ける力は子どもにはない。その意味で、折角のあなたの感化も彼等に及ばないものが多いかも知れない。そのまた逆は、あなたのもっている欠点をも、彼等の前に或る程度までは隠し、つくろうことが出来るかも知れない。素より意識してそうするわけではないが、そういうことで済む場合も少なくあるまい。

 ただ一つ、あなたのもつ真実性、あなたの性格の底からにじみ出る真実性だけは、どんな幼い子どもの心にも届かずにはいない。方法でもなく術でもなく、或る日、或る時、ふとにじみ出るあなたの真実性こそは、幼い子どもの心に、強い深い感化を与えずにいない。その逆に、若し、あなたに真実性が欠けている時は、それがまたそのままに、幼い子どもの心を不真実にせずには已(や)まないであろう。 倉橋惣三『育ての心(上)』

 これは、あくまでも私なりの解釈ですが、だからといって、子どもに届いてほしい真実性を美化し、清らかで居続けなければならないということではなく、どんな時も、子どもは私の真実性(私は、「自分の心に嘘や偽りのない様」と解釈しています)を見抜く存在であることを肝に銘じながら、「私」が「私」自身に正直であることを心がける必要性を、倉橋は言っているのではないかと思います。

 しかし、それがなかなか難しいのが現実です。どうしても、肩書や周囲との関係性などから影響を受け、心の奥底から込み上げてくるような感性を押し殺してしまうのです。

 また、保育という仕事は、特に、他人を思いやることが多い仕事ですので、どうしても気付かないうちに自分に対して無頓着になってしまうことが多い。それでいて、そういう仕事だからと片づけてしまうことも多い。心なしか、私の周りの保育者は、他人に優しく自分に厳しい方が多いように感じます。そして、それでいいのだ、仕方がないのだと割り切り、真の自分をおざなりにしているうちに、真の自分との繋がりをなくして(弱めて)しまっている方が多いように感じます。

 しかし、子どもたちの心が感受しているものは、倉橋が言うように、私たちの真実性なのだと私も思います。だからこそ、「私」が「私」自身に正直であることを、保育者(人間)として磨いていかなければならないのだと私は思います。

 そこで、まずは、真理奈先生が前回コラムで語ってくれたように、第1回のワークでは、【つい「どうでもいい存在」として無意識に扱ってしまったり、期待との乖離から生まれる罪悪感やがっかり感を塗りつけがちだったりする自分自身と、まずは真のつながりを取り戻していく】必要があったのだと思います。

”思わずつい”子どもはいつも、自分の心に正直である

これが私たちの等身大

 とはいえ、第1回のレッスンを受け、実際にマインドフルネスを体感してみた職員たちにとっては、もしかすると「ヒデさんは、私たちにどのような変化を期待しているのだろう?」という気持ちのほうが大きかったのかもしれません。

 と、言いながら、実をいうと、私自身も、「真理奈先生の視座からは、どのような景色が見えているのだろう?」と気になっている節がありまして、私の思考が、職員集団全体に影響を及ぼしていたようにも感じます。

 しかし、同時に、一人ひとりが自分自身と真の繋がりを取り戻すという目標は、私も皆に願っていたことであり、マインドフルネスとの出会い方、感じ方、自分自身との出会い方、気づき、取り組み方等は、それぞれ違うタイミング、違った歩調になっていくことが自然であることも、自分自身に言い聞かせるように、職員のみんなと共有したいところでした。

 第1回~第2回のレッスンまでの期間(2021年2月~4月)、年度末始ということもあり、保育園全体で時間に追われ、忙しさの渦の中でもまれていました。

 そんな中で、職員会議の時に、時々、ヒートアップしてしまいそうな議論を切り裂くように、【チーンとお鈴が鳴った時は、手と会話を止めて呼吸を整える(第一回レッスンで行った)ワーク】を、何度も試みようとしたのですが、私の心の中で“今はこのまま話を進めた方がいいな”“このタイミングではないな”と考えているうちに、会議が終わってしまうということが続きました。「今日は鳴らすからね!」と職員に宣言をしたのに、おわった後に「鳴らしませんでしたね」と突っ込まれてしまうこともありました。

 私の中にも、職員集団の中にも、呼吸を整えることの必要性が、すぐには浸透していかない事実と向き合う時間だったように思います。  これは、少し言い訳のようにも聞こえてしまうかもしれませんが、それぞれのタイミングや歩調を大事にしたかったので、私がグイグイと引っ張っていくのではなく、その場の気運が高まっていくうねりのようなものを生み出したい気持ちでいました。

 しかし、当時は、呼吸を整えることや、マインドフルネスに対する姿勢などを、『副園長からの提案』として受け取っている職員の方が多いように感じていたので、無理に鈴を鳴らすことができなかった(今ではないと、意図的に鳴らなさなかった)のだと思います。

 後から振り返ってみれば、それが、私たちの等身大ですので、“できない”“無理に歩みを進めようとしない・したくない”自分を知れた、という恵みになっていたのだと思います。

温水で越冬させずに、冬眠できる環境を整えたことで、自然に即した生が目覚める

溢れ出た真実性

 4月のある朝、玄関前の参道で、落ち葉掃きをしている私の前を、表情を強張らせた親子が足早に通り過ぎました。ちょっと気になって、「おはようございます。何かあったの?」と尋ねてみました。すると、お母さんが「この子(B君)が家の玄関に置いておいたリュックを持ってこなくって」と教えてくれました。私は、B君をかばうような気持で「お~それは残念だったね~」と伝えると、お母さんもB君もちょっとだけ表情を緩めてくれて玄関に向かっていきました。

 私の中では、リュックを忘れてしまうくらいのことは、大した問題ではないと思うのですが、その親子(特にお母さん)にとっては、許しがたい出来事だったようです。そこで、玄関に入っていく親子に、心を引き寄せられるように後を追い、背中越しに見守っていたら、お母さんは担任のAさんにも、同じように「この子が玄関に置いてあったリュックを……」と説明しました。すると、Aさんが「それはショックだったね~。そんな時もあるよ~」「B君もショックだったと思うけど、お母さんもショックだったよね~」と言ってくれたのです。その様子が、私には、強張る親子の心を、抱きしめて癒しているかのように見えて、とてもうれしくなりました。

 その言葉に、お母さんもB君もホッとしたように力が抜け、さらに、Aさんは、うっすら目に涙を浮かべながら「私もあるんだよ~、けっこう母のほうがショックだったりするんだよね~」と、重ねて伝えていました。

 実はその時、私はAさんのかかわりを見てハッとしました。私は少しB君に偏った寄り添いをしていたかもしれないなと。Aさんは、B君だけでなく、お母さんの気持ちにどっぷりと寄り添ってくれたのです。

 後から聞いた話ですが、それは“寄り添う”というよりも、日頃の自分の忙しさ故の失敗と重なって、つい感情的になってしまったのだそうです。でも、それが、それこそが、B君親子にとっては、何よりの癒しになったのではと思います。

 さらにさらに、うれしいのは、その傍らにいたもう一人の担任Yさんが、その後、Aさんに「Aさんって本当にすてき。偉かったね! Aさんのお陰で、どんなにお母さんがホッとしたことか」と、うれしそうに声をかけていたのです。私も、遠巻きながら「うんうん」と頷きながら、AさんやYさんと共に、喜び合いました。

 これは、スキルの問題ではありません。言葉のチョイスの問題でもありません。Aさんの真実性が溢れ出た、AさんとB君親子の感情のやりとりなのだと思います。そして、YさんがAさんについ声を掛けたくなったのも、私がこうやって、この出来事を大切に掬い上げて、皆さんに紹介することも、感情と感情の響き合いなのだと思います。

 これは通り過ぎてしまいそうな、ささやかな出来事かもしれませんが、このように、職員一人ひとりの中から、真実性が溢れ出てくる場面が毎日の暮らしの中に潜んでいるように思います。そこで、私は、職員の溢れ出てくる真実性を、丁寧に掬っていく役目になれたら良いのでは?と思いました。

彼の心の動きを表している痕跡。すぐに消えてしまう儚さに抗って、慌てて記録する私がいた。

芽吹きに気づき環境を整えるように

 マインドフルネスという枠組みで評価しようとすると、「未だ何もできていない」と感じている人のほうが多いように思います。しかし、Aさんが自分自身の心に正直であった朝の出来事は、言い方を変えれば、Aさんの真実性が溢れ出た萌芽なのだと思います。

 その芽吹きのエネルギーに気付き、掬い取り、かかわり、語り合い、喜び合うことは、草木の芽吹きに、水や光、そして適切な養分を環境として与え、整えていくことと同じように思います。

 芽吹きのタイミングや形はそれぞれですし、感じ方の濃淡はあります。そのグラデーションを大事にしながら、マインドフルネスに取り組んでいきたいと思います。

※次回は、鈴木先生のコラムを受けて、戸塚先生が執筆します。どうぞお楽しみに!

第4回コラムはこちら↓
第4回「根っこはつながっている」

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