コラム

第11回 「物語を創りつつ、物語に活かされる」

撮影:渡辺悟

執筆/社会福祉法人わこう村
    和光保育園 副園長 鈴木秀弘

 前回の真理奈先生のコラムを拝読し、先生の真摯なご回答に、心から感動するとともに、ホッと、とても安らかな気持ちになりました。読者の皆さまも、きっと、私のように、肩の力が抜けたのではないかと思います。

 しかし、全体としては、とても意味深い内容です。さらりとは読み飛ばせない、貴重な言葉の数々が散りばめられていたように感じます。

 特に、最後の部分で、

 「私が講座をお届けする理由は、その旅路において皆さんと一緒に呼吸しながら、互いに発し受け取るものを増幅・調音させ、共に生きていると実感する時に幸せを感じるからです。場を共にしながら一緒に練っていく、このフラットな関係性は大いなる喜びを授けてくれるものだといつも感じています。」

と書かれている真理奈先生ご自身の幸せや喜びについて、私自身が大事にしたい、保育の中で感じる幸せや喜びと重ねることができるのではないかと想像はできますが、「互いに発し受け取るものを増幅・調音させ」や、「場を共にしながら一緒に練っていく」という感覚については、もう少し深くお聴きしたい気持ちになりました。

旅路の行き先(目的地)をみんなで探し始めるような

 先生が講座を「旅路」と例えたように、保育園の子どもや大人たちと共にする「暮らし」も旅路そのものなのではという感覚があります。様々な個性を持ち合わせた人たちと共に暮らしていると、必然的に食い違いやすれ違いや衝突が起こります。それぞれの個性を尊びながら皆にとっていい塩梅を都度都度創っていく(探していく)ことは、それぞれがバラバラに主張し合うことと違い、共通の目的地(塩梅、納得解)を目指して共に歩むような感覚があります。

 そして、それが、単に、平凡に、淡々と、ただ流れて行ってしまうのでなく、互いに発し受け取るもの、つまり、様々なやり取りの中で、それぞれの振る舞いや感情が重なり合って、響き合って、一つになっていく時の高揚感や、抱擁感、安心感、信頼感は、なんとも心地よく、その感覚が幸せと喜びに繋がっていることも想像できます。

 そのようなさまを、真理奈先生は「増幅・調音」という言葉を用いて説明してくれましたが、それは、一人ひとりから発せられる波動のようなものを意識しているからでしょうか?

 波動と言ってしまうと目に見えない怪しいもののように受け取ってしまう方もいるのではないかと想像します。しかし、それは、例えば、身体の中で絶えず細胞が分解と合成を繰り返していること。呼吸、脈拍、新陳代謝によるリズムなどは波動として現れます。また、全身の流れ、心の揺れ動き、そして、それらの総和も、「私の命」の波動となって現れています。

 そういった個々人から生まれ、発せられる波動が、個々バラバラなものから、集団の波動へと増幅していくようなイメージでしょうか?

 また、調音という言葉を用いているのも、一人ひとりから発せられる波動が、乱雑に絡み合ったり、ぶつかり合ったり、打ち消し合うのではなく、一つの調和のとれた旋律を生み出していくようなイメージでしょうか?

 そうやって想像してみると、それぞれから生まれ発せられたエネルギーが、単に膨れ上がっていくというよりも、一つの交響曲を奏で始めるといいますか、一つの物語を歩み始めるといいますか、曲の、物語の、そして、旅路の行く先(目的地)をみんなで探し始めるような感覚を得ます。

「みてて」の渦が広がって ~物語を創りつつ、物語に活かされる~

 ある晩夏の出来事です。MちゃんとYちゃんが、Kさんに「てをつないでおよげるよ」と言ってきたそうです。担任のKさんは、何事に対しても慎重な印象のMちゃんが、友だちと一緒に自慢気にそう言うので、うれしくなって「おぉ! 見せて見せて」と言ったそうです。

 すると、2人が手を繋いで見事に浮いて見せてくれたので、Kさんはますますうれしくなって「おぉ、すごい!」と言ったそうです。すると、それを周りで見ていた子たちが、「わたしもやりたい」と参加してきたそうです。次から次と代わる代わる手を繋いで泳いで見せてくれました。そのうちに、「こんどはKさんもいっしょに、4にんでやってみよう」と一段と盛り上がったそうです。

 

 すると、その一連の様子や声が届いていたのでしょう。一緒にプールに入っていたAさんが「どれどれ、じゃあ見せてもらおうよ」と言って、ほかの子たちにも声をかけてくれて、場所を空けてくれたそうです。

 年長さんの4人組はその空いた場所をいっぱいに使って、手を繋いで“けのび”(プールの壁を蹴って、伸びて浮く)を見せてくれました。

 すると周りから「おぉぉぉ! すごい」と歓声が上がりました。そして次の瞬間、4人の姿と歓声に触発されたのでしょう、「わたしもやりたい」と次々に声が上がったのだそうです。

 

 そこで、年中さん、年少さん、2歳児さんと順に前に出てきて、それぞれのできる技を披露してくれました。見せてくれる技は実にいろいろです。年長さんのように潜ったり浮いたりができる子もいます。顔だけ水につける子もいます。ワニ泳ぎの子もいます。中には、今までは顔をつけるのを怖がっていたのに、雰囲気に後押しされて、顔をつけて泳いで見せてくれる子もいたそうです。

 披露し合いは、何回も繰り返されました。その度にますます盛り上がって、園庭中に「いいぞ♪ いいぞ♪」とうれしそうな声が響き渡っていきました。

 その声が私のいる2階にも届いてきました。私は“プールでなんだか楽しそうなことが起こっているな”と、居ても立ってもいられず、事務仕事の手を止めてプールに様子を見に行くことにしました。

 私がプールに着いた時には、披露し合いが落ち着き始めた頃でした。最後に年長さんたちが、一番自信のある特別な泳ぎ、その名も「けのびをしてそのままぜんぜんうごかない」という技を見せてくれました。 

 けのびをした後に、バタ足もせず水に身を委ねて向こう岸まで進むという技です。私が見た印象ですが、本当に心から身体を水に委ねて、水と一体となっている姿に、「美しさ」を感じる程でした。周りで見ていた子たちも、一瞬息を呑んだ後に、また一段と大きな歓声が上がりました。その盛り上がりの勢いの中で、だれか1人が「ねぇ、ながれるぷーるやっちゃおう!」と提案しました。Kさんはすかさず「いいね、流れるプールやろう!」と賛同し、周りの子たちに言いました。すると、「いいね」「ながれるぷーる」「ながれるぷーる♪」「ながれるぷーる♪」と、湧き立った歓声と雰囲気が、「ながれるぷーる♪」という掛け声に変わっていき、周りで見ていた子たちも次々にプールの中に入っていき、プールの中に大きな渦が生まれました。

 流れるプールはプールの中を大勢でぐるぐると歩き回ることで、洗濯機のような渦ができ、その勢いに身を委ねると流されるというものです。小さい子も、大きい子も多くの子が好きな遊びなのです。

 私は、その渦の高まりを、少し離れた園庭から眺めていましたが、縁側やステージからも私と同じようにプールを眺める視線があることに気付きました。きっとその子たちもおもしろそうな声や姿に引き寄せられたのでしょう。そして、いよいよ「いちにのさん♪」でプールの中の人たちが水に身を任せようとした時、縁側で見ていたW君が、プールの子たちの動きに合わせるかのように、座っていた身体を床に預けて寝転んだのです。私はそれを見て、「あ~、きっとW君も、心の中では“今”プールに入っているんだろうな」と思いました。ふっとステージに視線を移すと、E君も寝転がってうれしそうに見ています。なんだかそこに居るみんながうれしそうな顔をしています。

 「みてて」の小さな渦が、段々と大きく練り上げられて行って、技の披露し合いに育っていって、「いいぞいいぞ」の盛り上がりが最高潮になった時、その場のエネルギーが行き先を探して「流れるプール」へと流れ込んでいったように感じます。

 その一連の流れは、あとから振り返っても物語のように整理して記すことができますが、実際のその場にいた人たちからすれば、自分たちで物語を創っている感覚や、同時に、その物語に活かされて、後押しされている感覚を得ていたのではかと思います。

自分たちの居心地を自分たちで創っていく

 さて、長い時間を頂き、気ままに書かせていただいた本コラムにおける私の回は、これで終了となります。保育園の運営や、組織・チームの成長を考えた時、つい不足しているものばかりに目が向いてしまう傾向があります。しかし、本来は、私も含め組織・チームのメンバーそれぞれに、既に備わっているものに目を向け、大事に温め育てていくという、とても初歩的かつ重要なメッセージが、コラムを終える今、私の中に大きく響いています。そして、それは単に、一人ひとりの個性を大事にするというバラバラに切り分けていく作業ではなく、それぞれが発し受け取り合う、やわらかに繋がり影響し合う関係の中で営まれていく必要性を再確認しました。そうすることで、それぞれの波動が大きな一つの物語へ育っていき、物語を共に創りつつ物語に活かされる、心地よい組織・チームが生まれるのではと思います。

 本コラムでは、和光保育園の保育者と共に歩んできた旅路を、「マインドフルネス心の旅日記」として記してきましたが、大人同士の話というよりは、共に暮らし物語を創っている子どもたちとの出来事を意識的に紹介しながら、と言いますか、子どもたちと創っている物語の力を借りて、マインドフルネスの旅路を、私自身が整理してきたように思います。

 そして、真理奈先生には、いつも、私たちが私たち自身の根っこへ意識を向けられるように、そして、同時に、私たちが生きている物語の全体に意識を向けられるように、場を共にしながら、私たちから発せられるものに丁寧に向き合っていただき、共に練り合わせてくださっていたのだなと改めて感じ、心から感謝の気持ちと、崇敬の念を届けたい気持ちです。

 「保育ナビ」誌の連載を読んでくださった方や、本コラムを開き読んでくださっている皆さんは、きっと、組織・チームのリーダーに当たる方たちではないかと想像します。真理奈先生の姿勢は、園という組織・チームの運営にも、私たち保育者が子どもたちと創っていく暮らしにも、そして、人間として生きている一人ひとりの人生にも、深い示唆を与えてくださっているように感じます。

 もちろん、和光保育園にも、それぞれの皆さんの所属する組織・チームにも、具体的な問題が日々生じていますので、一つひとつの問題を解決する術は必要なのですが、それと同時に、問題を流してしまうのではなく、自分や自分たちのために「解決しよう」と思うのは、それぞれのです。つまり、マインドフルネスは「自分たちの居心地を、自分たちで創っていく」という精神に、大きな恩恵を授けてくれると私は感じました。

 真理奈先生、改めて、心から御礼申し上げます。このようにまとめてみましたが、和光保育園と歩んでくださった旅路の感想とともに、私のつたない考察に対して、真理奈先生の見解をお聞かせいただければ幸いです。

※次回は、鈴木先生のコラムを受けて、戸塚先生が執筆します。お楽しみに。

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